私は、元々、責任感という言葉に思い入れはなかった。
責任感があるという他人の話を聞くと、なんだそれはと思うばかり。
しかし、今となって分かったことがある。
それは、私は気付かぬうちに大きな責任を感じ、それに押しつぶされそうになっている。
つまり、私は当たり前のように強い責任感を持っていたのだ。
それによって、プライドが高く、他者に助けを求めることをしなかった。
いや、できなかったと言うべきだろうか。
自分だけで何とかなる。何とかせねばならないという思いがあった。
責任感が薄い者が幸せという“憎悪”
この世には責任感が薄い者が数多く存在する。
「子育ては母親に任せれば良い」と言って、育児に関わらない父親。
「仕事はサボれば良い」と考え、与えられたことを最小限しかしないサラリーマン。
そして、そういう人がこの世では、うまい汁を吸うことができる。
「子育ては母親に任せれば良い」と言って放棄し、それに耐えられない妻から、離婚だと言われても、本人には責任感がないため、「分かった」と言って簡単に離婚する。
そして、養育費まで払わない。
なんと責任感に欠けることか。
しかし、本人はそれに対して「罪悪感」を感じない。
痛くない。
だからこそ、養育費を払わず、“浮いた”お金で娯楽に興ずる。
この満たされた世界において、責任感がない者も生き延びることができる。
これが狩猟時代であればどうか。
当然のように、その村から追い出されるであろう。
責任感ないものが、容認され、増え続けるこの世界に、強い責任感を持って生まれたことを、誇れるような強い人間は少ないだろう。
だが、自身の責任感を誇り、その美学に酔い、胸を張って生きていこう。
私は、責任感の強い者が好きであり、そんな人と繋がりたいと心から思う。